19世紀末から20世紀への転換期は、小国が独立を求める闘いの時代であったとも言えます。チェコでは、オーストリア=ハンガリー帝国とゲルマン化政策に対する抵抗の動きが高揚していました。
万国博覧会の期間中、ロシア皇帝アレクサンドル3世の来訪を受けたことで、パリは汎スラヴ主義の波を経験します。ミュシャは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を手がける際に取材したバルカン半島への旅で目の当たりにした外国の支配を受けている人々の屈辱と苦しみを、劇的なかたちで表現しました。
その後アメリカに渡り、同地のスラヴ人コミュニティーのメンバーの知遇を得たミュシャは、約50万人のメンバーを抱えるスラヴ協会を設立しました。そして、《スラヴ叙事詩》制作のための資金提供を資本家チャールズ・R・クレインから取り付けます。
ボヘミアに戻った後は、女性の描写にも変化が見られます。丸顔でふっくらした体型のスラヴ人である妻の容貌がベースとなりました。バレエ「ヒヤシンス姫」のポスター(1911年)は、星空に囲まれたプリンセスをロマンティックに様式化しているにも関わらず、その姿からはエネルギーに満ちた現代女性という印象が伝わってきます。また、「第6回全国ソコル祭」(1911年)、「第8回全国ソコル祭」(1925年)用ポスターなども手がけています。民族の伝統や民族衣装に触発され、意匠化したこれらのポスターは、明るい色彩で写実的に描写されています。画家の晩年の作品は、新生国家チェコスロヴァキアの依頼を受けて制作されたものが多く、紙幣や切手のほかにも、白獅子の国章、警官の制服、聖ヴィート大聖堂のステンドグラス(1930年)などもデザインしました。1928年にプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)に連作《スラヴ叙事詩》全作品が展示された際には、チェコスロヴァキア独立10周年記念ポスターも制作しています。これらの作品は、チェコ国民の文化的民族自決のための長年にわたる闘いの、まさに有終の美を飾るものでした。



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